35thサンパウロビエンナーレ&ブラジルアートシーン交流ツアーを実施

イノティン現代美術館にて ツアー参加の皆さまと

ツアー実施日:2023年8月30日~9月10日
【招聘キュレーター8名】
★木村絵理子(弘前れんが倉庫美術館)
飯田志保子(インディペンデントキュレーター)
内海潤也(アーティゾン美術館)
小高日香理(東京都現代美術館)
角奈緒子(広島市現代美術館)
中田耕市(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)
橋本梓(国立国際美術館)
山峰潤也(インディペンデントキュレーター)
(★キュレーターチームのとりまとめ役を木村絵理子氏に務めていただきました)

現地でのプログラム概要
9/2土 ピナコテカ他、ビエンナーレプレオープニングパーティ出席
9/3日 ホセ・オリンピオ氏コレクション、モレイラサレス文化センター、トミエオオタケ美術館等
9/4月 サンパウロ美術館、ギャラリー、スタジオビジット、ビエンナーレプレオープニングカクテル出席
9/5火 サンパウロビエンナーレ プレビュー
9/6水 ベロオリゾンテに移動、イノティン現代美術館
9/7木 イノティン現代美術館 リオ・デ・ジャネイロに移動
9/8金 ニテロイ現代美術館、リオ美術館、スタジオビジット、ギャラリー等

当コレクションの共同代表である田口美和は、2021年、サンパウロビエンナーレのインターナショナルアドバイザリーボードメンバーに就任しました。サンパウロビエンナーレは、1951年に第1回を開催して以来すでに70周年を迎え、ヴェニスビエンナーレに次いで歴史のあるビエンナーレです。また、開催地であるサンパウロは日本以外で最大の日系人コニュニティーを擁し、多くの日系人アーティストや建築家も活躍しています。今注目されるグローバルサウスのアートを知るという意味でも、ブラジルのアートシーンは見逃せません。しかしながら、距離的な遠さなどから日本からの訪問が難しく、サンパウロビエンナーレの知名度も残念ながら日本国内では低いと言わざるを得ない状況がありました。
そこで、日伯の人的交流を促進するための第一歩として、まずはサンパウロビエンナーレのオープニングのタイミングで、日本からのブラジルツアーを編成しました。メンバーはキュレーターの他、コレクターやギャラリーの方々など総勢18名でした。特に今回は、キュレーターの方々には旅費の一部を補助することで、長期の出張に出やすい環境を整えました。日頃から多忙を極めるキュレーターの方々も、全員がフル日程で参加することができました。
実質滞在1週間で3都市を移動しながらの慌ただしいツアーとなりましたが、予定外のプラスアルファなども追加できて充実した旅になりました。

サポートして下さった、駐日ブラジル大使館のコルテス大使、パトリシア公使をはじめとする皆様、ビエンナーレ財団の皆様、現地のギャラリーやアーティストの皆様、各美術館でご協力いただいた皆様、旅行社や現地ガイドの皆様、アートアドバイザーの塩原将志氏、日本からご同行下さった皆様、全ての方々にこの場を借りて深く御礼を申し上げます。

参加したキュレーターの方々より、ツアー後に短文を寄せていただきましたのでご紹介致します。

木村絵理子(弘前れんが倉庫美術館)

2023年春先のこと、田口美和さんからいただいた一本のメッセージから、今回の旅はスタートしました。その時お聞きしたのは、田口さんがサンパウロ・ビエンナーレのインターナショナル・アドバイザリー・ボードに就任されたこと、そしてそれを機に、2023年9月に開幕するサンパウロ・ビエンナーレの第35回展に向けて、日本からキュレーターやコレクター、ギャラリストたちを率いて、サンパウロをはじめとするブラジルのアートに触れるリサーチツアーを主宰されるというお話でした。そこで私からご提案することになったのは、現時点でブラジルとの接点を作るには至っていないものの、日本国内で遠くない将来に向けてブラジルとの交流の機会を生み出す可能性を持つキュレーターをリストアップして参加のお誘いをすることでした。最終的に私自身を含む日本各地の国公立と私立の美術館に所属する学芸員とインディペンデントのキュレーター総勢8名が参加することになりました。
サンパウロ・ビエンナーレをはじめとするサンパウロ、リオデジャネイロ、イニョチンという3都市の美術館やギャラリーの訪問と、コレクターやアーティストたちとの交流は、他の国や地域の人々と会っている時同様に、日本の現状について比較確認する好機でもありました。展覧会の内容だけでなく、展覧会を支える組織体自体の多文化共生や先住民の当事者性をいかに担保することができるか。政治的環境の変化に対する組織的な対応はいかになされてきたか。公的機関がプライベートなセクトとどのように関係を結んでいくことができるのか。異なる機関や立場の人たちが、それぞれに困難があることにも言及しつつ、なおポジティブに取り組む姿を知ることができたのは、心強くも羨ましく感じられるものでした。今回のリサーチは、ブラジルとの接点をいただけたことはもとより、日本では公的機関同士の交流の機会は多いものの、業種を超えてこうしたリサーチの旅に出られることが少なく、この貴重な機会を次に繋げていくことが使命だと強く感じています。

※木村絵理子さんによる詳しいビエンナーレレポートはTokyo Art Beatに掲載予定です。

飯田志保子(インディペンデントキュレーター)

第35回サンパウロ・ビエンナーレ他ブラジルツアー感想(2023/8/31-9/10)

ブラジルは日本の真反対に位置するだけあって、これまでに訪れたどの国や地域よりも距離的に遠いことを実感しましたが、その価値がある旅でした。気軽に往来できる距離ではないと身をもって知ったからこそ、これまで展覧会のために南米各地から来日してくださったアーティストやキュレーターや関係者に改めて感謝の念が沸き起こりました。

2000年代から主にアジア・パシフィック地域でビエンナーレや国際展を調査研究および実践してきたひとりとして、ヴェネツィア・ビエンナーレ[1895-]に次いで世界で2番目に長い歴史を持つサンパウロ・ビエンナーレ[1951- ]は、ぜひとも訪れたい展覧会のひとつでした。(カーネギー・インターナショナル[1896- ]を含めると3番目。)いかにして長年継続し、地元ではどのように受け止められ、国際的な枠組みにおけるキュラトリアルな焦点はどのように変遷してきたのか。組織、運営体制、学芸面のいずれにおいても興味は尽きません。

ビエンナーレのキュレーター・チームとの意見交換やパブリック・プログラムに参加する機会はなかったものの、展覧会からはっきりとしたキュレトリアルな態度を感じ取りました。40か国121名のアーティストによる1100点以上の作品を一日で駆け抜けるのは至難の業で、十分に見ることができなかった作品もありますが、選定された作家と作品の集合によって全体に通底していると感じたのは、水平な関係を渇望し、構築し、実現しようとする挑戦と、その試みを妨げてきた地政学的な権力関係に基づく格差に対する抵抗の態度です。そうした態度表明としての国際展は今日、世界各地で開催されていますが、クローバルノースで開催されるポストコロニアルな意識の国際展との違いを感じたのは、権力者や抑圧者や無関心者に対して、弱者としての抵抗の態度を(ともすれば敵対的に)前景化するのではなく、「choreographies of the impossible(不可能の振付/意訳すると「不可能性を振り付ける」でしょうか)」のテーマの下、「これが自分たちの営みであり文化であり美学だ。私たちはもはや弱者ではない。」と誇りを持って、軽快かつエレガントに、むしろグローバルサウスの同志やオーディエンスと共有する意識で提示されていたことでした。ステップを踏ませることで「見る」立場にいる者を知らぬ間に振り付けるように。不可能と思える物事とすらダンスしてみせるように。そこには、先住民族やセクシャル・マイノリティなど、周縁化された存在の営みや社会的弱者による身体表現を肯定的に取り上げ、それらの内側から格差や差別に内在する無知や特権的な立場にいる者に対してまなざしを投げ返す態度も含まれます。こうした極めて今日的でアクチュアルな態度が、中世から現代に至る時間的な幅を持った作品群によって提示されていたことがとりわけ印象に残っています。例えば、17世紀前半のスペインおよびアメリカ領スペインの半伝説的な人物で「修道女中尉」を意味する異名をもつカタリナ・デ・エラウソの肖像画を軸に、3名のトランスジェンダーとフィクショナルなエラウソのモノローグで構成されるCabello/Canceller のビデオ・インスタレーション[https://35.bienal.org.br/en/participante/cabello-carceller/] 、ブラジルで最初のトランスジェンダーの一人と見なされているXia Manicongoについての文書、[https://35.bienal.org.br/en/participante/xica-manicongo/] そしてJuan van der Hamen y León による主題となったエラウソの肖像画[https://35.bienal.org.br/en/participante/juan-van-der-hamen-y-leon/] の一連の流れや、Pauline Boudry/Renate Lorenz の新旧のパフォーマンスのビデオ・インスタレーション [https://35.bienal.org.br/en/participante/pauline-boudry-e-renate-lorenz/]、Diego Araúja & Laís Machado [https://35.bienal.org.br/en/participante/diego-arauja-e-lais-machado/] による消失と出現を示唆するインタラクティブな藁のカーテンの舞台装置といった作品です。緊張感を伴うアウェイでの開催とは違い、どことなくサウス同士の連帯やホーム感が漂う、肯定に満ちた展覧会でした。

ビエンナーレの前にピナコテカとMASPを訪問して、サンパウロはブラジルのみならず南米の現代美術史の構築において影響力をもった都市であることを認識しました。その自負と誇りと実績があるからこそ、ビエンナーレの歴史のなかでは当然紆余曲折あったことと想像しますが、35回目ともなると、世界のなかでも他に引けを取らない、質実剛健かつスタイリッシュな展覧会を実現することができるのだろうと思いました。空間の洗練度は、会場がオスカー・ニーマイヤーの建築であることが大きく寄与していると思います。(使いやすいかどうかは別として。)後日、リオデジャネイロでニテロイ現代美術館を訪れることができたのも、この旅のハイライトのひとつでした。

ところで、西洋の美術館とそのコレクションは従来、多種多様な人々を「市民」たらしめるよう教育するために国家や都市のアイデンティティとナラティブを作る機能を有していました。現在では、収集機関であると同時に市民の多様性を認め、より包摂的で開かれたコミュニケーションの場でもあろうとする変化の過程にあります。MASPのスペクタクルな展示システムは、作品を等価に見せようとした導入時の理念とは逆説的に、美術館という制度と、寄贈で成り立っているコレクションの価値判断の恣意性を増強しかねない点で、どこまで理念が実装可能なのか議論しがいがあるものでした。ピナコテカの時代を混在させたコレクション展と好対照で、どちらからも良い刺激を受けました。

治安に不安がある不慣れな土地にいきなり単身で訪問するのは気が重いもの。貴重な機会にお声かけいただき、展覧会やスタジオ訪問のアレンジのみならず、日々安全かつ快適に過ごせるよう、移動から食事から社交に至るまで見事な旅程を組み立ててくださった田口美和さんに、心から御礼を申し上げます。この旅は美和さんと塩原さんが培ってこられた素晴らしいネットワークの賜物で、私たちはその恩恵をいただきました。参加したキュレーターとコレクターの皆さまもありがとうございました。ご一緒できてとても楽しかったです。

旅は時間と経験を共有して、「同じ釜の飯を食う」ことから生まれる仲間意識を育みます。実際、共同企画では旅の経験をコンセプトやチームビルディングに活用することもあります。いただいたご縁を今後どのように活かしていけるか、カイピリーニャのフレーバーを懐かしみながら考えたいと思います。

内海潤也(アーティゾン美術館)

想起する新たなポイント

サンパウロ・ビエンナーレ、オスカー・ニーマイヤー、リジア・クラーク、トゥンガ、エルネスト・ネト、ロナウジーニョ、ネイマール、シュラスコ、コーヒー、サンバ、カーニバル、日系移民、ホスピタリティ。私が約30年間かけて吸収してきた、ブラジルに関しての浅薄な知識と漠然としたイメージ。地球の裏側、と幾度となく口に、耳にしてきたそれは、幼少期からサッカー、コーヒー、現代アートと、イメージの核が推移してきた。いうまでもなく、冒頭にあげたサンパウロ・ビエンナーレが、ヴェネチアにつぎ世界で二番目に古い国際展であることは、イギリス留学中(10年ほど前)に知り、そのあとも、修士課程の同期が指導教授とともにブラジルへ視察に行ったこともあり-私はその年末にインドへ視察に行く予定を立てていたので同行せず-身近には感じつつも未踏の地であり、同期に遅れをとっているという勝手な出遅れも感じていた。そんな曖昧な距離感は、今回のビエンナーレを中心とした視察によって、ぐっと縮めることができた。渡航直前に開催していた展覧会で、幾度と聴いていたリオ・デ・ジャネイロのサウンドスケープ。話に聞いていたゲストを迎える素晴らしいホスピタリティ。美術館によって更新されていく歴史の語りかた。ビエンナーレが拡張するアートの射程。アーティストという存在とクリエイティビティを称えるようなギャラリーの佇まい。ジェンダーへの関心をもつ私にとって、特にMASP(サン・パウロ近代美術館)のコレクション展示での取り組みや、今年のビエンナーレが示していた多方向へ向かう身体のふるまい、それをコントロールしようとしてきた/しているパワーのあり方、そのうちにありつつ抵抗するコレクティブの紹介は、ただの訪問者にとって、一種理想的にみえ、目指すべきポイントとして記憶されている。ただそれ以前に、「人」を讃える基本的な姿勢、その素晴らしさが頭によぎる。田口美和さんから、塩原将志さんから紹介された人々が素敵な人たちだったから、私が11日間の旅行者に過ぎなかったから、理想的な側面しかみていないのだろう。が、これからも訪ねていくには充分に魅力的な経験であり、現代アートに携わる者として、単なる思い出としてではなく、文化を形にしていく作業の指針を確認するたびに想起することになることは間違いない。片道30時間のフライトは思っていたよりも苦ではないことも体感できたので、思い出だけで終わらせない血肉化の旅に出たいと思う。

小高日香理(東京都現代美術館)

田口さんのご尽力で実現した濃密な7日間ブラジルアートの旅。数々の作品との出会いだけでなく、それを擁する建物と展示の関係性も垣間見ることができたのが印象的でした。パウリスタ通りに浮かぶように建てられたサンパウロ美術館(MASP)では、建築家リナ・ボ・バボルディのコレクション展示室の構想が再現され、クリスタルイーゼルに架けられた絵画が、やはり浮かんでいるかのように立ち並ぶ壮大な光景を見ることができました。
サンパウロビエンナーレの会場となるパビリオンは、オスカー・ニーマイヤーの傑作であるイビラプエラ公園の建築物の1つ。水平に広がる3つの階層に分かれており、直方体の外観からは想像できない有機的な曲線を持ったスロープと吹き抜けがその間を繋いでいます。その中で17世紀の肖像画から19世紀の風刺画、最新のコミッションワークまで時代、カテゴリー、ジャンルの異なる展示物がヒエラルキーなく展示される様子は建物の水平構造との共鳴を感じさせます。同時に、作品同士の関連性を想起したり、同じ作家やテーマの表現に別の階で巡り合うという体験は、各層を緩やかに繋ぐスパイラルを持ったこの建築空間あってこそだという感覚を持ちました。サンパウロ州立美術館のコレクション展でも、時代や様式を超えた作品の共演を見ることができましたが、こちらは19世紀の新古典主義建築の中に小部屋が並ぶ構造を生かし、各部屋がテーマごとにキュレーションされていたのが対照的です。
それぞれの建物空間やその文脈を指針にあるいは共犯にしながら歴史の課題とポストコロニアルの表現に向き合う、その空気をまさに肌で感じることができた旅でした。

中田耕市(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 副館長)

距離だけでなく、心理的にも自分との接点という意味でも、遠い国であったブラジルですが、今回はキュレーターの交流プログラムに参加することができ、初めて訪れることができました。このプログラムを企画主催し、お声がけいただいた田口美和さんに心からの感謝を申し上げます。
9月1日夜にサンパウロに到着し、リオ・デ・ジャネイロを発った9月8日まで、1週間強の時間を「遠い国」ブラジルで過ごした経験は、ヨーロッパやアジア、北米など、これまでに訪れた国のアートシーンとの関わりとは、まったく違ったものとなりました。到着の翌日から、緻密に組まれた行程をもとに精力的に、サンパウロのギャラリーやインスティチューション、美術館、アーティストのスタジオ、コレクターの邸宅へと導いていただき、私にとっては毎日が新しいアーティスト、新しい作品との遭遇の場となりました。とりわけブラジル滞在のクライマックスとなったサンパウロ・ビエンナーレは強く印象に残っています。人類学者、アーティスト、キュレーターら出自の違う4人のネットワークによって構築された国際展には、欧米のスーパースターの名も、馴染みのある日本や東アジアのアーティストもほとんど登場しません。ブラジルをはじめとした中南米のアーティストが軸となり、Raquel Limaのようにアフロ・ディアスポラに言及する学際的なアーティストやリサーチャーのプロジェクトも多く出品されています。歴史的、地政的な課題があぶり出される多くの作品が有機的に配置された空間は、ブラジルの明るくカラフルなイメージからは遠く離れ、むしろ重厚で挑発的と言えます。それでもなお、会場を駆け抜けた後は思いのほか軽快で、「choreographies of the impossible」というテーマが体感的に「未知の世界を想像することへの招待状」へと変換されたことが、帰国後1ヶ月ほど経た今も鮮明に思い出されます。

角奈緒子(広島市現代美術館、学芸員)

私にとって初のブラジル訪問についてひとまず率直な感想を。サンパウロは想像どおりの大都会。ビエンナーレ開催時期とも相まってなのか、殊アート界は活気に満ちていたように感じました。ピナコテカでは、各テーマに沿ってセレクトされた作品の大胆な展示に感嘆。MASPでは、リナ・ボ・バルディが考案した、かの有名な什器を用いた絵画展示を実際に見ることができ大感激。ギャラリーでも多くの出会い(作品含む)がありましたが、個人的にはフォルテス・ダロイア&ガブリエルで、リヴァーニ・ノイエンシュワンダー本人に会えたこと。また、美しい展示会場に仕立てられた広い倉庫で、自慢のコレクションを披露するオリンピオ氏、自身の大邸宅(と庭)に、アンティーク家具と現代美術作品をセンスよく展示する赤川氏、といったコレクター訪問はため息の連続。そして、今回最大の目的、サンパウロ・ビエンナーレ。複数キュレーターによるキュレーションは、各人の主張が際立つがゆえにとかく分裂した印象になりがちだが、今回はほどよくまとまっていた印象。これはおそらく、あらゆるテーマ、視点、態度を包摂しうる絶妙なタイトル「choreographies of the impossible」が功を奏しているのではないかと想像。植民地搾取、ポストコロニアル、社会から疎外された存在(に属するアーティスト)等、ほぼすべての作品が社会的・政治的現実への直接的な応用や関連性を示し、問題意識を促す。ゆえに総じてシリアスなはずなのに、会場は必ずしも悲痛な雰囲気に包まれているわけではなく、ポジティブなエネルギーが漂っていて、いろいろ学ぶことの多い展示でした。その後、ミナスジェライス州ブルマジーニョでは、広大な植物園内に現代美術のパビリオンが点在するイニョチンを堪能(時間足りなかったけど)。リオ・デジャネイロではヴィック・ムニーズのスタジオと邸宅にお招きいただき大興奮。国土の広さはもちろん、人種も資源も文化も食も多様で豊かなブラジルに圧倒され続けた滞在でした。

橋本 梓(国立国際美術館)

サンパウロ・ビエンナーレのインターナショナル・アドバイリー・ボードを務める田口美和さんの取り計らいにより実現したこのツアーは、ブラジルの現代アートに精通する塩原将志さんがその知見と人脈を惜しげもなく提供下さり、全員が初ブラジルとなった8名のキュレーターと、南米の作家たちに大きな期待を寄せるコレクターの皆さんという稀有な混合チームで、12時間の時差と格闘しながら走り抜けた、忘れ難い経験となった。
1951年に始まったサンパウロ・ビエンナーレは、戦後のグローバルな現代美術史を検討する上で非常に重要な展覧会のひとつだ。1950年代から60年代には多い時で40名近い日本の作家がいちどに展示され、また1970年代以後は日本側のコミッショナーとなった中原佑介、針生一郎、三木多聞、東野芳明らの美術評論家たちが、同時代的な表現に取り組む現代美術作家たちを少数選抜して送り込んでいく。日本の現代美術史を検討する上でも、興味深い鏡となるビエンナーレと言える。
35回を数える今回、ヒエラルキーを廃した「コレクティブ」としての4名のキュレーターが提示した主題は「choreographies of the impossible」。グローバル・サウスと呼ばれる地域やその作家を中心に、環境問題、植民地主義、様々なマイノリティ問題や、新自由主義経済下における摩擦といったまさに「不可能なる」課題に私たちがどう想像力を働かせることができるのか示唆する内容であった。個人的には、日本あるいは東アジア地域との間に、アートを通じて現在どのような対話が可能となるのか、継続的に検討する視点を頂いたと感じている。田口さんをはじめ、このたびお世話になった全ての皆様に感謝します。

山峰潤也(インディペンデントキュレーター)

タグチコレクションにご招待いただいて参加したブラジルツアーはとりわけ、実りの多いものであった。ヴェネチア・ビエンナーレに次ぐ歴史を持つ、サンパウロビエンナーレでは、グローバルサウスの中心にふさわしく、南米、アフリカ、東南アジア、カリブなど非常に多様なアーティストがそれぞれの歴史と文化を持ち寄る機会となり、非常に印象的であった。その他方では、南半球最大級でNYにも展開しているコマーシャルギャラリーのメンデス・ウッドの存在感、スケールを逸したプライベートコレクション、巨大な植物園の中にパブリックアートが多数存在するイニョチンなど、そのスケールに圧倒されることが多々あった。また、ブラジル人アーティストたちの作品を見ても早くから欧米からの文化的影響を受けて、西欧的な美術史のコンテクストが注入されてきたことが見受けられた。

一方で、ピナコテカ美術館ではコレクション展を年代記的に陳列するのではなく、一般の観衆からわかりやすいテーマで区切った章立てをしていた。こうしたビギナーフレンドリーであることが重要視される状況には、日本と近いものを感じるし、また、至る所にオスカー・ニーマイヤーなどの重要建築があり、建築家へのリスペクトの高さにも日本との親和性が感じられた。そして、南米にあって早くから欧米と経済的にも渡り合ってきたその特異性は、非欧米圏でありながら先進諸国に加わっていた日本とも通じる。それは、グローバルサウスと白人諸国の対立構造からずれた位置の存在としての類似点である。日系ブラジル人の歴史も含めて、こうした点も含めてブラジルと日本の長期的交流は非常に有意義なものになるという予感を十二分に感じることができた。

しかしその上で、強く踏まえなければならない点があるように思えた。それは、これだけの多様な民族が集い、広大な大地にまたがり、そして大きな貧富の差が横たわっている。そのどこをとってブラジルをブラジルと呼ぶのだろうか、という疑問が湧いていた。ブラジル滞在の後、比較的すぐにヴェネチアビエンナーレ建築展にいく機会があった。そこでナショナルパビリオンの中で金獅子賞を受賞したのがブラジル館(Gabriela de Matos and Paulo Tavares キュレーション)であった。その内容は、ブラジルにおける原住民が多様な移民によって生活を追われ、結果、ブラジリアへの首都移転に伴う大規模都市計画の労働者となっていった歴史と、その事実から首都ブラジルを設立した真の立役者は我々であり、我々が立ち上がるべきだと、当時の民族運動の指導者の演説のビデオから始まっていた。それはまさに、アイデンティティの立脚点に対する問いであった。そして、そのルーツの多様性に関わる視点では、サンパウロビエンナーレで行われた、ガーナ出身のアーティストのイブラヒム・マハマとブラジル観衆とのそれぞれの国における黒人を取り巻く状況の違いと共通点についてであった。アフリカンアートは度々、白人社会との対立構造の中で文脈化されるが、一方、ブラジルにおける黒人ルーツは多様な移民と入り混じる中で変化してきた点にあるという話であった。その歴史の中で見え難くなる歴史性をどのように捉えていくのか、それをガーナ人アーティストの視点との対比の中で延々と議論は続けられ、非常に興味深かった。そこにはブラジルという言葉に含まれる多様性が散見された。

国家という言葉のカテゴリーは、わかりやすく定義する反面、その内実をわかりづらくする側面もある。ブラジルの場合、その点が強く感じられた。つまり、どのようにその内実を理解し、どの視点とコミットメントして協業を果たしていくのか、という点が重要になる。欧米の伝統を基礎とした近代主義に対して、ポストモダンがアンチテーゼを唱えた時代を経て、真のグローバル社会は、地域と地域が、個人と個人とが、国境を超えて交わっていくP2P(piar to pair)の時代にある、と言える。しかしそれは、一方でこれまでの正解めいた大局なき時代を意味する。その中であっても、わかりやすく“国”や“イデオロギー”などの言葉が跋扈していく。また同時にそれも背負っていくことにはなる。そうした中でキュレーターとして、どのように悩み、またその状況を楽しんでいけるのか、思索するきっかけの旅となった。